妹のホームページを作った

僕には3つ下の妹がいて、刺繍アーティストをやっている。一昨年の夏に父が亡くなって、福岡に帰ってきた。実家の2階に住み着き、元々母の寝室だった部屋をアトリエと称して日々針と糸でチクチク作品を作っている。その様子が先日、地元のテレビ局でも紹介されていた

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多くのアーティストがそうだと思うけど、なかなか儲かるような仕事じゃない。妹もバイトしないで生活していくのがやっとの状況だと言う。以前にも、何度か相談されたことがある。その度に、もう少しネットを使ってみたらとか、自分のビジネスモデルを考えてみたらとかアドバイスをしたものの、どうもピンと来ないようで、たまに声をかけてもらったお店で展示会をさせてもらったり、声をかけてもらった会社さんと商品を制作したりして、作品を作り続けていた。

今年の1月、僕が会社を辞めて独立することを決めてさて何をやろうかと考えていた時に、妹の仕事を手伝おうと思い立った。会社員時代は「表現する人を応援する」というテーマに拘っていて、クリエイターの方々がWeb上の表現で収益をあげられるような仕組みづくりを進めてきた。会社を辞めて独立してからも、そのテーマを諦めるつもりはなかった。

これまで小説家や漫画家の方々向けのサービスばかりやってきたけど、自分の身近にいる作家のことは見て見ないふりをしていた。でも偉そうに表現する人を応援したいとか言っておいて、それでいいのかと思い始めた。見知らぬ人たちを応援するのもいいけど、自分の妹がたいして食えてないのにそこを放っておいてどうするんだと。

それで、妹に声をかけた。一緒にやるかと言うと、やると言う。本気でやる気があるのかと聞いたら、あると言う。じゃあやるかということで、プロジェクト佐和子が始まった。

プロジェクト佐和子

最初はまず、ビジネスに対する考え方をすり合わせるところから始めた。誰にどんな価値を提供するのか。どういうテイストでどんなターゲットに向けたどんな商品を作ってどんなふうに売るのか。僕もコマースの経験がないから手探りで、妻にも会議に参加してもらって三人でああでもないこうでもないと話し合った。

検討を進める中でコマースやオンラインショップ構築の経験はないけど、これは普通のWebサービスを作ったりビジネスモデルを考えるときとそう変わらないんじゃないかと思い始めた。そこで毎度おなじみのAARRRモデルを用いて、妹の状況に当てはめてみた。

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新規獲得(Acquisition)のチャンネルはあった。よく展示会を開催したりしていて、そこに来てくれたお客さんが直接刺繍の施された作品を手に取って見てくる。そして作品を気に入ってくれた人が買ってくれる。これがActivationに該当するだろう。そして洋服や帽子などの身につける作品が多いので、買った人が着てくれるとそれが友達や周りの人の目にも触れる。その刺繍かわいいね、どこで買ったの。そんな会話が行われているのかわからないけど、展覧会にお友達を連れてきてくれる方も多いそうで、数は多くなくてもReferralも機能していそうだ。

だけど、継続を意味するRetentionが弱かった。定着と再訪の仕組みがないのだ。展覧会や商品企画は単発でそれぞれ別個に行われるから、ファンになってくれた人が定着する場所がほとんど無かった。

収益化(Revenue)も課題だった。展覧会や店頭での販売は会場やお店に販売手数料やマージンが発生し、その割合が小さくなかった。1つ1つ自分の手で刺繍を施す作品は大量生産ができず、1点の制作にも多くの時間を要するが、マージンを払っていると利益がほとんど無くなってしまうのだ。

そこで自分の作品を気に入ってくれた方にもう一度訪れてもらうための場所、そして直接その人たちに商品を買ってもらえる場所をWeb上に作ることにした。

ホームページ

数ヶ月に及ぶ準備期間を経て、先日完成して公開した。昔懐かしい、所謂ホームページだ。

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https://sawakoninomiya.com/

作品の説明やそこにかける想いはnoteに書き、作品の写真はInstagramに載せて、オーダーメイドはGoogleフォームで受付、商品はBASEで販売することにした。既存のサービスを使う方が効率的だし、それぞれのサービスに集うユーザーが沢山いるから新規獲得のチャンネルにもなり、フォローしてもらえればリテンションにもなるだろう。

ホームページはそれらをつなぐハブと位置づけ、ここに来れば全ての最新情報が一覧できるという場所にした。各サービスに投稿した情報をRSSやAPI経由で取得して表示している。最初はかっこいいかと思ってNext.jsで静的に作ろうとしたけど、難しすぎて挫折してしまった。仕方なくPHPで書き直し、アクセスのたびに毎回APIを3つも叩いてるので少し重いのが玉に瑕だ。

商品はファッションブランドのコレクションみたいに、毎回テーマを持たせてオンラインで展示をすることにした。先日妹がカメラマンさんとモデルさんと撮影してきた写真や動画を並べて、オンライン展示会のページを作った。さすがプロの仕事。素材がいいのでこのページはめちゃくちゃ見栄えがする。

https://sawakoninomiya.com/exhibition001.html

BASEで販売している商品の物撮りはスクリーンや照明を揃えて実家でやったけど、こちらは素人感が満載で改善の余地があるし、僕の素人デザインも野暮ったい。しかしそれがスタート地点だ。Webサービスと一緒で、ここから日々どう運営して改善していくのかが問われるのだろう。特に妹の仕事はお客さんと直接向き合う仕事だ。オーダーメイドでその人をイメージして一からデザインすることもあるし、自分の手で一針一針心を込めて商品を仕上げていく。一針一針、一人一人を大切にする場に育てていって欲しい。

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会社を作った

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今日、法務局で登記の申請をしてきた。登記の完了はもう少し先だけど、申請した日が設立日になるらしい。2021年6月9日、ロックの日だ。そして父の命日、9月6日をひっくり返した日でもある。会社の名前は二宮企画株式会社。あまりに普通で何のひねりもない。せっかくだからと、ロゴを作ってコーポレートサイトも作った。

https://ninomiyakikaku.com/

会社のロゴは、丸に漢数字の二を重ねたもの。これはかつて、父が働いていた佐藤組というゼネコンの作業着に刺繍されていたものをモチーフにしている。丸に漢数字の八を重ねたそのロゴは、幼い頃の僕にとって働く父の象徴だった。キャメル色の作業着と、その左胸に赤い糸で刺繍されたマルハチ印。それが働く大人のアイコンだった。なぜ佐藤組なのに八なのか、わからずじまいだけど。

会社を作るまで

4月15日にはてなを正式に退社してから会社設立まで、1ヶ月半くらいかかった。手続き自体は会社設立freeeというサービスを利用して自分でやったけど、思ったよりもスムーズに進められた。書類仕事は苦手だけど、画面の指示に沿ってやっていけば誰でも簡単に会社が作れる仕組みになっている。会社設立freee、めちゃくちゃ便利だった。

時間がかかったのは、特定創業支援等事業を受けたからだ。通常、会社の設立には登録免許税が株式会社の場合15万円かかる。これが福岡市で起業する場合、特定創業支援等事業を受けると全額免除になるのだ。

初めての起業だし、財務や労務など全く知見のない領域の助言をもらえるということで、福岡市スタートアップカフェが主催する全4回の無料相談を受けてみた。全てオンラインで受講できて、事業計画書を見てもらったり社労士さんや弁護士さんに相談もできた。それが無料でかつ、税金15万円が免除になるのだからありがたい。さすがスタートアップにやさしか街たい。

ながれもの

で、会社を作って何をやるのか。

大変ありがたいことに、既に4つの会社さんと1人の個人からお仕事をいただいて、日々仕事をさせてもらっている。5つ仕事があると大変だ。1週間に平日が5日。1日に1つの仕事を進めるとして、1日でも調子が悪く進捗が無いと次に支障が出る。明日には明日の仕事が、明後日には明後日の仕事があるからだ。そうしてここ1ヶ月ちょっと、ヒーヒー言いながら日々仕事に追われている。

だったら何も会社なんて作らずに、個人事業主としてやればいいのではないか。何のために会社を作るのか。忙しい日々の合間を縫って起業の準備を進めながら、何度もそう自問した。何のためにやるんだっけと。起業関連の本を読んだり、朝走りながら考えたり、改めて考えるきっかけになった1ヶ月だった。

最初は、売り上げいくらを目指そうかとか、どれくらいのユーザー規模のサービスを目指そうかとか、目標を立てようとした。だけどピンとこない。何億円稼いだら何がいいんだっけ。何百万人使うサービス作れたらそれで幸せなんだっけ。よくわからなかった。

次にミッションみたいなことを考えた。世の中を豊かにしたいとか、クリエイティブな人を応援したいとか。確かにしたい。したいけど、応援って勝手にエールでも送ってたらいいんじゃないの。世の中を良くしたいって、自分はそんな利他的な人間だったっけ。本当に?

何度も自問してみると、結局一番やりたいことは、ヒットサービスを作ることでも、世の中を良くすることでもなかった。

自分が何かを企画して、人に見せて、触ってもらって、その人が面白がってくれたら、それが一番嬉しい。結局そういう小さいモチベーションで仕事してるのだった。それは目標でも使命でもなく、1つの手段にすぎない。でもその、面白いこと考えたいというプリミティブな欲求こそが、自分の根っこにあるものだ。

面白いことを考えて、みんなを楽しくさせたいな

打ち明け話にうなづいて、みんなと仲良くなりたいな

これはブルーハーツの「ながれもの」という曲の歌詞だ。小学校の頃にボーイスカウトに入っていて、油山のキャンプ場で先輩たちがよく歌っていた曲。薪を拾いに行ったり、水を汲みに行ったり、テントの溝を掘りながら、みんなで歌った。それでブルーハーツを知って、夢中になったものだ。

あれから三十数年、油山の麓の街で起業することになった。今、仕事部屋の窓から油山が見える。

面白いことを考えて、みんなを楽しくさせたいし、みんなと仲良くなりたい。だから色んな会社さんの色んなサービスの企画を考えたり、自分でも誰かと何かを作って、みんなの喜ぶところが見たい。それが会社を作ってやりたいことだ。がんばろう。

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曺貴裁監督と中田一三監督それぞれのマネジメントスタイル

日曜日に行われたJ2第15節、首位を走るアルビレックス新潟との上位対決。それは感動するほど痺れる試合だった。

最終ラインから執拗に繋いでポゼッションしようとする新潟と、前線からプレッシングして走り続ける京都。互いのやり方を貫き通すスタイルウォーズ。こんな試合が見られるなんてサポーター冥利につきる。川崎選手のプロ初ゴールを守り抜き、ウノゼロでの勝利。そしてチームはJ2の首位に立った。

首位、最後にチームがそこに立ったのは2年前の7月だ。当時は中田一三監督の掲げた、SBが中に絞ってビルドアップする独特のポゼッションスタイルがJ2を席巻していた頃。もはや、遠い昔の出来事のようだ。

一時は首位に立ったサンガだったけど、対戦が一巡して各チームが対策してくる中で段々と勝てなくなり、夏場の補強がうまく行かず、現場とフロントのギクシャクした関係が漏れ聞こえてくるようになり、そしてあの伝説となった柏との最終節を迎えた。何というカタストロフィだろう。未だに柏のエンブレムやオ◯ンガの4文字を目にすると、あの光景がフラッシュバックする。全てのサンガサポに刻まれた、深いトラウマだ。

あれから2年。J2に降格してから10年。チョウさんが監督になって、これまでのサンガとは一味違うチームを作り上げている。

当時の中田一三監督と、今季から監督を務める曺貴裁監督。独特のスタイルや強烈な個性、チーム内外に自分の言葉でビジョンを示せる稀有なリーダーシップなど、監督としての共通点も多い。しかし、そのマネジメント手法は全く異なる。

監督というマネジメント業

サッカーの監督というのは選手やコーチングスタッフなど、数十人から時には100人を超す規模のチームをまとめあげるマネージャーである。戦術の構築や選手起用の判断など監督としての仕事の手前に、まずこの大きな規模のチームをどうマネジメントしていくのかが問われる。

相手はプロにまで登り詰めた選手達だ。個性の強いメンバーしかいない現場をまとめ上げ、更にカツカツの財政事情と数多のスポンサーを抱える経営陣との間に板挟みになる中間管理職。そういう立場に1年から2年契約くらいで雇われた監督がポンと据えられるわけで、ちょっと想像してみても尻尾を巻いて逃げ出したくなる難易度の高さだ。

これまで世界的な名将と呼ばれた監督達は強烈なカリスマ性を発揮してチームを率いてきた。モウリーニョ、ビエルサ、グアルディオラ、クロップなど、ちょっと名前をあげても曲者揃いで胸焼けがしそうだ。莫大なお金が動く欧州サッカーほどではないにしろ、データに基づく分析や戦術が洗練されて年々複雑さを増すサッカーという競技において、並大抵のマネジメントでは歯が立たないのはここ日本でも同じだろう。

言葉で伝える個のマネジメント

曺貴裁監督も、強いカリスマ性でチームの先頭に立って引っ張る、強いリーダーシップの典型のようなマネージャーだ。

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京都サンガF.C.2021新体制発表会 - YouTube

今年1月に行われた新体制発表会の記者会見。最初のチョウさんの挨拶でいきなり鳥肌が立った。言葉に力があり、自らの理想を具体的に自分の言葉で表現できる。すごい人がやってきたと感嘆した。

それから約半年、外から伺い知ることができる範囲でも常に言葉でチームが目指す姿や現在地を表現し続けている。言葉の力を重視し、うまく活用できる監督だと思う。

  • 就任会見でいきなり掲げたチーム方針の「HUNT3」
  • サイドバックを攻撃のアクセルを踏む役割と定義した「アクセル」
  • ボランチを自分よりも前の7人を操る役割とした「ホールディングセブン」

こうした所謂キジェ用語も特徴的だけど、試合前後のインタビューなどでも言える範囲で真摯にチームの方針や指揮の意図を説明してくれる。おそらく普段から、選手に対しても1人1人言葉を尽くして説明しているのだと思う。

先日の新潟戦でも印象的なシーンがあった。後半アディショナルタイム、途中交代で投入した荒木選手を交代させたシーンだ。途中交代で入った選手を代えるというのはあまり無いことで、どうしても交代させた選手にはネガティブなメッセージとして伝わってしまう。

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DAZN | サッカー | 新潟 vs 京都 : 第15節

実際このシーンでも荒木選手は明らかに不満そうな顔でタッチラインからベンチに戻ろうとしていた。それを監督がその場で静止し、その場で声をかけていたのだ。試合後、無人のビジター席に挨拶に向かう選手達の姿を捉えた映像でも、まだ監督が荒木選手とマンツーマンで話し込んでいる姿が映っていた。

試合後のインタビューでもそのことに触れているが、これを大事な仕事の1つと捉えて普段から実行している様子が窺える。

荒木大吾を途中で出して途中で代えましたけれど、事情を話して本人も理解してくれていると思いますが、ああいった交代はあんまり良い交代ではないことは分かっています。ただ、勝点3をとるために、自分なりに確固とした理由がある中で、選手にそれを理解してもらうのも監督として大事な仕事の一つかなと思っています。

監督コメント|京都サンガF.C.オフィシャルサイト

言葉を尽くしてメンバー1人1人と向き合う。チョウさんのマネジメント手法の特徴的な一面だ。言葉で伝える個のマネジメントと言えるだろう。

チームで行うチームマネジメント

一方、中田一三監督が行ったマネジメントは大きく毛色が異なる。一三さんは分業制が特徴だった。このツイートは風邪で練習休みますという近況報告だけど、後ろに映ったコーチ陣の顔ぶれが非常に豪華だ。

サンガを天皇杯優勝に導いたゲルトさん、最近山形で丸さん退任後の暫定監督を務めた尽さん、FC東京からやってきて現在は長崎でヘッドコーチを務める佐藤一樹さん、現在でもサンガでGKコーチをやっている富永さん、そして写真には映ってないけど一三さんの後任で最近愛媛を立て直した實好さん。

当時CKは全て富永コーチに任せているという話や、守備の戦術は佐藤一樹コーチが担当しているという話もあった。Twitterでもコーチ陣のことを共創者という独特な呼称で呼んでいたし、候補者にプレゼンをしてもらって選考するという方法もとっていた。まるでマネージャー職の採用面接のようだ。実際退任後のフットボール批評でのインタビューでもこのように語っていて、最初から意図した組織形態だったのだろう。

コーチ陣には自分と選手の間に入ってほしいと話をしていました。基本的に現場の指導は彼らに担当してもらい、自分の構築する戦術的な土台、やろうとしていることにズレが見られたときは横から入って、軌道修正するといったやり方です。 フットボール批評issue27 | |本 | 通販 | Amazon

途中交代させた荒木選手にその場で声をかけたチョウさんとは対照的だ。

一三さんは元々FC.ISE-SHIMAという社会人リーグに所属するチームのNPO法人で理事長をしていた人物だ。お兄さんが中田商事という運送事業を営む会社の創業社長で、身近に経営者のいる環境に影響を受けたのかもしれない。サッカーの指導者としての側面よりも、組織のマネジメントや経営の目線が強い、珍しいタイプの監督だった。年々複雑さを増すサッカーという競技におけるマネジメントを、チームで行うという方法を彼が選んだのは必然だったのかもしれない。

中間管理職としての難しさ

チームでチームをマネジメントする。それは一見うまく行っているように見えた。実際、一時はJ2リーグの首位にまで立ったほどだ。しかし、8月以降にチームは失速。前述したフットボール批評のインタビューでも語られているが、最も大きな理由は上司のマネジメントに失敗したことだったと思う。特に夏場の補強を巡るフロントとのすれ違いが、決定的な亀裂を生んでしまった。

もちろんフロントにも監督にも、双方に言い分はあるだろう。それでもフロントと現場の間に立つ監督がマネジメントしようとした範囲は、足元のチームだけだったように見える。経営陣やフロントスタッフなど自分の上司にあたる、上方向のマネジメントまで手に負えなかったようだ。

実際、サッカーチームの監督にそこまでの責務を負わせるのは酷だし現実的じゃない。サッカーチームではよくGMや強化部長などと呼ばれる経営と現場を繋ぐ役職が置かれ、上方向のマネジメントを受け持つことが通例だ。そうしてやっと、監督は現場の仕事に集中できるようになる。

中田一三監督の場合は、自分を招聘した強化部長が就任前に退任してしまったことが立場を一層難しくさせた。西京極でゴール裏に向けて放った「落ちひん」の一言で有名な小島さんがその人だ。一三さん自身も結構尖ったタイプのマネージャーだったし、FC.ISE-SHIMAは小さな組織で自分がトップだったから、恐らく中間管理職として上と下のバランスを取るようなマネジメントが得意じゃなかったのだろう。その上で後ろ盾を失ってしまったわけだから、如何に大変な仕事だったか想像に難くない。起こるべくして起こった分裂だったように思う。

ピザ2枚で賄えるチームの人数を超えた時に

チームや組織が大きく複雑になってきた時、そして経営と現場の間で組織の舵をとる立場になった時、そうした難しい局面に立たされた時に、本当のマネジメント力が試される。これは何もサッカーチームに限った話ではない。

実際僕も一三監督就任時の2年前、チームの人数が急に大きくなってピザ2枚のサイズを超えたことがあった。Amazonのジェフ・ベゾス氏が提唱したと言われる、ピザ2枚で賄える人数以下にすべきという理想的なチーム規模を超えたわけだ。

当時一三監督を信奉していた僕はすぐに真似をして、チームでチームをマネジメントするぞ!と言い始めた。ディレクター4人でマネジメント業務を分担して、1on1を交互に回してあがってきた問題を分担して解決したり、Wevoxのスコアをみんなで眺めながら対策を練ったり、これまで個人が担ってきたマネジメント業務を複数人で分担し始めたのだ。

うまく行った面もあればうまくいかなかった面もある。ご多分に漏れず僕も上司のマネジメントが苦手で、課題意識をうまく上に伝えることができなかった。またチームでマネジメントする場合は組織を保つための構造やバランスが大事になってくるから、思い切った手を打ちにくくなるという弊害もある。

どうするのが良かったのか。唯一絶対の正解は無いのだろう。リスクをとって個の力での突破を試みたり、組織を重視してスケールを図ったり、その時々でバランスをとっていかないといけない。まるでサッカーの試合みたいに。

チョウさんの挑戦

この難しいマネジメントの課題に、チョウさんは自分が最も信頼できる人たちで傍を固めるという方法で対処しようとしているように見える。

キジェチルドレンと呼ばれる元教え子を招集し、チームキャプテンには新加入ながら元湘南の松田選手を指名した。ヘッドコーチに指名した長澤徹さんは同級生でチョウさんともよく連絡を取り合う仲だと言うし、石川隆司さんは湘南時代を共にしたコーチだ。

一三さんが共創者を広く募集してコーチングスタッフの組織化を図り、キャプテンにユース生え抜きの宮吉選手を指名したのとは対照的だ。

自身の理解者で傍を固めることで、組織としてスケールさせつつも方針を大胆に変更しやすい機動性も確保できる。実際良い方法だと思うが、もちろんデメリットもある。ガバナンスが効きにくいという点だ。

曺貴裁監督は前任の湘南時代に、パワーハラスメント行為で処分を受けたことは記憶に新しい。強い個によるマネジメントが先鋭化した先には、こうした問題が起こりやすい。今季の京都で、同じ問題が再燃しないという保証はどこにもない。

だからこそサンガは、去年の後半に加藤久さんを呼んできて、強化育成本部長にしたのだと思う。一三さんの時に空白だったポジションだ。あの時の教訓が活かされて、今の体制があると信じたい。

株式会社京都パープルサンガはIT系のベンチャーが出資しているような今風のクラブとは違って、京都の財界が支える古風で由緒正しいガバナンス重視のクラブだ。だからこそ動きが遅かったり、天下り人事でビジョンがないと揶揄されたりしてきた。そうして10年、J2の魔境から抜け出せずにスクラップ&ビルドを繰り返してきたクラブだ。

去年亀岡に最高のスタジアムができて、今年からチョウさんという強烈な個を持つマネージャーを監督に据えた。持ち前のガバナンス重視の企業体制とがっちり組み合えば、最高のマネジメント体制が築けるのかもしれない。

今はまだ、長いリーグ戦の3分の1を経過したに過ぎない。チョウさんの挑戦はここから更に本格化していくのだろう。スタジアムでチャントが歌えないけど、心の底から応援したい。紫魂、俺たちの京都!

山岳遭難のリスクを低減するテクノロジー

山に行くときは、だいたい1人だ。今までに誰かと一緒に山を歩いたり走ったことは、レースを除いたら数えられるくらいしかない。

元々あまり人とわいわいコミュニケーションするようなタイプじゃないし、山へ行くというのは街中の喧騒から離れて静かな自然の中に身を置く行為だと思っている。だから1人で行くことが多く、なるべく人の少ない山に行きたがる。

しかし単独行は、遭難時のリスクが高い。単独行の遭難者は、遭難したときに死亡・行方不明になる確率が、パーティを組んでいる登山者の約2倍程度になるそうだ。

自分は30代後半で山に目覚めて、山に通うようになった。色んな本やブログを読んだりして自分なりに山について考えてきたつもりだけど、誰かに直接教わったり訓練を受けたことがなく、山岳遭難のリスク対策は万全とは言えないだろう。

だからこそ、積極的にテクノロジーに頼ることにしている。

山に行くとき、特に初めてのコースを通るときは、毎回事前にルートをTrail NoteでGPXファイルに書き出して、SUUNTOのGPSウォッチやスマートフォンの地図アプリGeographicaに読み込ませて持って行く。地図データを事前にキャッシュしておけば圏外の場所でも使えるし、予備のモバイルバッテリーも持っていくことで電池切れのリスクも低減できる。GPSで現在地がわかるので、ルートを外れたらすぐに気づくことができ、道迷いのリスクは大幅に減らすことができる。

道迷いの次に多い遭難理由は滑落だ。どんなに気をつけて通行していても、足元のトレイルが崩落してしまった場合は避けられない。特に単独行の場合は深刻だ。怪我をして動けなくなったり、そのまま気を失ってしまったり、命を落とす事故に繋がる可能性が複数人でいる場合と比べたらずっと高くなる。

だから滑落に対しては、事故にあった後の対策が重要だ。単独行で意識を失ったり、圏外の場所から動けなくなったら救助を呼べない。如何に早く気づいてもらい、正確に自分の場所を伝えられるか。

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IBUKI GPSはそんな課題を解決するために開発された、GPS端末とWebサービスのソリューションだ。会社を辞める前から開発を手伝わせてもらっていて、今日ようやく個人向けの販売開始にこぎつけた。Makuake(マクアケ)という新しい商品や体験を応援購入できるサービスで、今日から先行販売が始まった。

www.makuake.com

IBUKI GPSは軽量・省電力のGPS端末で、内臓しているSIMを通じて通信を行い、3分に一度自分の位置情報をWebサーバーに送信する。その位置情報の履歴を地図上にマッピングして表示してくれるWebサービスと連動しているので、ページのURLを家族や友人に送っておけば、ほぼリアルタイムに自分の現在地をライブ配信できる。

去年の暮れに試作段階だった端末を借りてから、山へ行くときには毎回持っていき、登山口で入山する前に必ずLINEでライブ配信ページのURLを妻に送るようになった。自分にとっても何かあった時の安心感につながるけど、特に喜んだのは妻だった。

山へ行くときは必ず帰宅予定時間を伝えていたけど、どうしても予定よりも時間がかかってしまうこともあった。そんな時、iPhoneを探すアプリで共有している僕の位置情報を見るのだけど、位置情報が点でしか表示されないから、進んでるのか戻ってるのかよくわからなかったそうだ。それが、時系列に線で見えるようになった。これは僕が今年、脊振山地を半分縦走したときのログ。タイムシフト再生で見ると、山の中を進んでいる様子がよくわかる。

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我が家ではこのIBUKI GPSにココヘリを組み合わせて、何かあった時の対応フローを決めている。IBUKI GPSは3分に一度位置情報を送信するが、LPWAで通常の4G回線に比べたら繋がりやすいもののどうしても電波が届かないエリアもある。だから位置情報が動かなくなって1時間以上経過し、その間に何の連絡もなく、電話しても通じない・連絡が取れない場合は、ココヘリに電話して救助を要請するということにしている。ココヘリの電話番号と会員IDを記入した紙は冷蔵庫の扉に貼ってあるので、いつでも参照可能な状態だ。

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もちろん紙の地図とコンパスを駆使した読図力や、山での経験値、純粋な体力など、自分の頭や体を鍛えることも大切な要素だ。新しいテクノロジーはそれらを否定するものではなく、足し算、掛け算で遭難リスクに備えることができる。これからも積極的に、新しい仕組みを取り入れていきたい。そして今日から先行販売が始まったIBUKI GPSも、よりよい仕組みに改善していきたい。

妥協点

運転免許は持ってないけど、車を買った。会社を辞めたばかりだけど、ローンを組んだ。頭がおかしくなったのかもしれない。

きっかけは、UTMFの送迎を妻に頼んだことだった。UTMFは富士山の周りを170km走る山岳レースで、スタート地点もゴール地点も、車がないとなかなか行きにくい。ゴールは早朝の予定だったから、尚更だった。

妻はここ数年車の運転をしていないペーパードライバーだったから、講習を受けて運転の練習をして、週末はレンタカーを借りてさらに練習を重ねていた。レンタカーを毎週のように借りるうち、だんだんと車が欲しくなってくる。家からレンタカー屋まで1kmちょっとの道のりを歩いて往復するのが億劫だからだ。レンタカー屋からの帰り道、決まって車が欲しいね、どんな車がいいかな、という話をした。

僕はオープンカーがいいと言った。昔、マツダのロードスターの助手席に乗せてもらって滋賀の朽木まで行ったことがあって、その時最高に気持ちよかった体験が忘れられなかったのだ。なによりデザインがスポーティーでかっこいい。絶対オープンカーがいい。僕はそう言った。

妻はかわいい車がいいと言った。フォルクスワーゲンのビートルとか、ミニのクーパーとか、フィアットのチンクエチェントとか。丸っこくて小さくて、かわいい車がいい。妻はそう言った。

意見は割れた。しかも180度異なる価値観。だけど、ここからがお楽しみだ。

それから2人で、妥協点を探し続けた。トヨタのヤリスみたいに実用に全振りしてみてはどうかとか、いっそスズキのジムニーみたいな全然違う毛色の車はどうかとか、2人の好みからあえて外すことも考えた。YouTubeでいろんな車の動画を見たり、車の雑誌で各社のラインナップを眺めたり、車のことをちゃんと調べたのは初めてだった。

そうして模索する中でミニとフィアットに、オープンカーがあることを知る。ミニのコンバーチブルか、フィアットのカブリオレか。だいぶ絞られてきた。

そしてある日、フィアットにミモザという真っ黄色の限定車があることを知った。妻がターゲティングされたバナー広告で発見してきたのだ。その瞬間、2人の妥協点のスイートスポットが見つかった。次の週末にディーラーへ行き、その次の次の週には契約していた。そして今日、納車された。

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かわいくて、屋根が空いて、2人が気に入った色の車。見れば見るほどかわいくて、愛らしくて仕方がない。

妥協点というのは、どこか仕方なしに選んだ、諦めの選択肢のようなニュアンスがある。でもなかなかどうして、妥協点を探るのは楽しい行為だ。2人の中間にある妥協点を通じて、自分の中に無い価値観に触れることができる。

僕には車をかわいいと思う感性は無かった。昭和のナイトライダーブームに幼少期を過ごした男性にとって、車はかっこいいものだからだ。だけど、屋根が開くならいいかと妥協したことによって、車のかわいさを愛でるという新しい境地に出会った。

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なるほどこれはかわいい。ピカチュウみたいだ。

だいたい僕たち夫婦は、一事が万事趣味が合わない。僕は山が大好きなアウトドア派で、妻は都会が大好きなインドア派だ。旅行先を選ぶ時、僕はだいたい山がいいと言い、妻はシティホテルがいいと言う。

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先日見つけた妥協点は、ウッドデッキにテントがある洗練されたロッジだった。これも良い妥協点だった。妻はテントも悪くないねと笑っていた。

今ではすっかり猫が大好きな妻も、最初は犬派だった。パグやフレンチブルドッグみたいな鼻がぺちゃんこの犬を飼いたいと言って譲らなかったし、僕は絶対に猫がいいと言って譲らなかった。そんな時に出会った、鼻がぺちゃんこの猫、エキゾチックショートヘアは最高の妥協点だった。あれから7年、2人ともすっかりエキゾの虜になっている。

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2人でとことん妥協点を探すのも好きだし、見つけた妥協点を通じて、新しい価値観に出会うのも好きだ。

しかしQのこの顔よ。よく見るとエキゾチックショートヘアとチンクエチェント、結構似てるな。