理想の切片化を夢見て、主観と客観の狭間を巡る

Hearableという会社で、リサーチ業務のお手伝いやリサーチリポジトリの開発をしている二宮です。Research Advent Calendar 2023 の12日目を担当します。

私は事業会社でプロダクトマネージャーとして働いた後、2年前に独立して色々な会社の新サービスや新規事業立ち上げのお手伝いをしてきました。お客さんにやりたいことはあるもののどう進めたら良いかわからない場合や、そもそもニーズがあるのかわからない場合が多く、プロジェクトの多くがまずユーザー調査から始まります。

リサーチして企画してプロトタイプを作って、そのプロトタイプを用いて再度リサーチする。そういうサイクルを回しながら、事業の種蒔きから発芽までを担当してバトンを渡すような仕事です。

色々なプロジェクトを経験するなかで、そうして渡してきたバトンを一時的なものではなく、組織の財産として蓄積していけないかと考えるようになりました。あるお客さんのリサーチの仕事をして半年くらい経った頃、同じ会社の別の部署から似たようなリサーチのお仕事の相談があったこともきっかけの1つでした。

お客さんを巻き込んで一緒にリサーチをして、ワークショップをしながら一緒に知見を共有しあっても、どうしても情報は属人化してしまって組織の壁を越えることができない。これをなんとかしたいと思うようになりました。

リサーチ結果をどういう形で残すのか

そんな経緯もあって、新しく会社を作ってリサーチリポジトリという概念のプロダクトを開発することにしました。リサーチの結果を切片化して管理し、いつでも取り出せるように、組織の財産として蓄積していくためのサービスです。

リサーチリポジトリの開発をはじめて最初に直面した問題は「何をどういう形式で残すのが良いか」ということです。例えばユーザーインタビューを行った場合は、主に以下のような成果物が生まれます。

  1. インタビューの様子を録画した動画
  2. インタビュー中の発言を文字起こしした発言録
  3. インタビュー中に、気付きを手元に残したメモ
  4. インタビュー中の発言や所作から得られた出来事を切片化してまとめたシート
  5. 切片化した出来事をグルーピングするなど分析に使ったホワイトボード
  6. 分析して得られた知見をまとめたレポート

最終的にはレポートを納品するのですが、中間生成物であるこれらのデータをお客さんのMicrosoft TeamsやGoogleドライブなどのフォルダにまとめて保存します。レポートは読んでもらえるのですが、発言録や元の動画まで辿って見てもらえるのはプロジェクトの当事者である担当者くらいですし、当の担当者だって後から何度も見返すのは大変です。

担当者の上司や関連する部署の人、ましては他の部署の人がアクセスしても意味のあるリサーチ結果のデータベースをどう構築するのか、ここが設計の最初の肝になりました。

ヒントにしたのは当時海外で広がっていた「アトミック・リサーチ」という考え方でナゲットと呼ばれる、切片化した最小単位の切り出し方でした。切片化は元々GTAなどの質的研究手法でも、1つの事象を文脈から切り離して分析するために行われる手法です。

対象者の発言や仕草などを1つの事象として切り出し、関連する情報をタグ付けするなどメタデータと一緒に保存していく、そんな方法です。

切片化の難しさ

しかし一言で切片化すると言っても、これが結構難しいんです。例えば会社内のオンライン会議の実態についてインタビューを行って、以下のような会話が行われたとします。

  • あのー、先ほどオンライン会議の議事録は後から文字起こし機能で得られたテキストを整形しているって仰いましたけど、文字起こし機能というものを具体的に教えてもらえますか。
  • はい。大きく2つあって、1つは弊社Zoom使ってるんで、Zoomにデフォルトで付いてる機能があるので、それを使ってます。
  • なるほど、使っていて実際どうですか。日本語の精度というか、業務で使える感じですか。
  • そうですね。それは割と実用できる感じで、うーん、主観的な精度としては7割ぐらいかな、一応取れてるかなっていう。話の流れは取れるかなって感じなんですが、こう問題としては、発言者の名前が残らないんですよ。
  • あー、そうなんですね。
  • えっと細かく言うと、文字起こし機能使って手動で保存すれば、発言者の名前が残るんですけど、間違えて1回Zoomを会議を終わらせて、1回終わっちゃうと、全部文字起こしが決まってしまって、録画の方では文字起こしじゃなくて字幕っていうのを残せるんですけど、字幕だと発話者がない形で、ちょっとテキストだけ残っちゃって。
  • そうなんですね、何ででしょうね。
  • うーん、多分日本語だから何かちゃんとしてくれてないのかなと思うんですけど、悪くはないけど、はいちょっと惜しいかなっていう感じでした。

ここから切片化して1つの事象として取り出すとしたら、切り方も何を残すかも人によって違うでしょう。まずこういった生の文字起こしをどれくらい整形するかという問題があります。

また、インタビューは通常インタビュアーとインタビュイーの発言が交互に行われ、1つの事象が複数の会話にまたがって語られます。そのため1つの事象を切片化しようとすると会話のラリーが何往復することもあり、細かい最小の単位で切片化しようとしても文章量が長くなりすぎることがよくあります。

特にリサーチ結果を分析する時によく行われる、1つの事象を1つの付箋に貼り出してホワイトボードでグルーピングする時には、1つの付箋に収まるくらいの文章量にしたくなります。文章量の多い方から順に以下のような段階で文章量は減っていきますが、それに伴って解像度の高い細部の情報は削れ、抽象度が上がります。

  1. 素起こし:人力やAIを使って、一字一句書き起こしたもの(上記のインタビュー例文はこれ)
  2. ケバ取り:「あのー」や「えー」などの文脈上意味を持たない言葉を削ったもの
  3. 整文:代名詞が指す内容を補ったり、インタビュアーの質問や合いの手を削るなど、読みやすく整形したもの
  4. 要約:長い文章を一目でわかるように1行程度の文章で要約したもの

日本酒の精米歩合みたいですよね。大吟醸は飲みやすくスッキリするけど、米の雑味に宿る味の情報量が失われるみたいなトレードオフと似ています。

理想的な構成

しかしインタビュイーの元の発言を要約した時点で、そこに要約を行った人の主観が入り、その時点でこれは客観的な事実(ファクト)ではなく、主観的に得られた気付き(インサイト)になるのではないかと思い始めました。

もう1つ手前の整文にすら、微妙に主観は入ってきます。実務的にはそこまで厳密に主観と客観の分離をしなくても良いし、そんな細かいことまで気にしていたら仕事が進まないのですが、情報設計の上では大事なポイントです。

最初は切片化する時にどの情報を残すべきかという択一の問題だと考えていたのですが、主観が入る前の原文も、整形し要約したテキストも、それぞれ相互に参照可能な状態で残すべきではないかと考えました。リサーチ結果の分析をしている時に元の発言に立ち返ってもう一度考えたくなることもあるし、いつでもソースを参照できれば可逆的に検証できます。

例えばKA法を使って整理をする時も、主観的に判断した対象者の「心の声」や行為の背景にある「価値」を元の出来事と一緒に扱います。そうした多面的な視点で主観と客観を行き来しながら、事象の裏側にある価値を読み取っていきます。

主観と客観をいつでも相互に行き来できるように、相互に参照可能な状態で各段階を残していくのが理想の形ではないか、そんな考えに至りました。

インタビュー中の動画、そこからの文字起こしデータ、発言を引き出した質問、インタビュー中のメモ、その要約、インタビューに同席した人のコメント、KA法をやったときは心の声と価値。これらを1つの切片としてまとめて保存しておけると理想に近づけそうです。

コストとリターンの兼ね合い

ただこうした形でインタビューや観察記録から切片化しようとすると、コストの問題が重くのしかかります。1つの切片にここまで複数の情報を持たせようとすると、どうしても作業に時間がかかります。特に企業に所属するリサーチャーはお1人で調査を担当される方も多く、デザイナーやプロダクトマネージャーが兼任しているケースもあります。

リサーチが業務になるとかけられる工数には限りがあり、主観と客観が混ざるとか、後から参照できるように残しておくとか、そんな細かいことにこだわるよりもとにかく実行することに価値があることも多いでしょう。

理想的な状態をMAXとして、現実的に実現可能なラインは各社それぞれ事情が異なるし、かけられるコストも様々だと思います。全てを残すか残さないかのゼロイチの設計ではなく、実際のオペレーション上無理なく運用できるラインをそれぞれ自由に選択できる。そういう状態が理想なのでしょう。

ただこうした情報を残すためのコストの問題は、ツールの進化によって大幅に軽減できます。最近ではAIの進化により、人間の手で行ってきた情報整理をAIに任せることも現実的になってきました。

コストの問題が解決できれば、これまでブラックボックスとしてリサーチ担当者しか知り得なかった主観と客観の狭間を、誰もが参照して行き来できるようになると思います。そうなれば、プロダクトや研究に関わる人たちが職種や職能を超えて共通言語として定性情報を扱える、リサーチの民主化が実現できるのではないかと夢見ています。

弊社で開発しているリサーチリポジトリのHearableもAIを活用したツールの開発を進めており、そうした理想の未来を実現できるように少しでも貢献していきたいです。