9月6日

夜中の4時ちょっと前に妹から電話がかかってきて目が覚めた。父の呼吸が弱くなっている、もうすぐかもしれないと言うので慌てて家を出て家の前にあるタクシー屋の事務所に駆け込んで空港まで乗せてくれとお願いして、もう仕事終わりの運転手さんに何とか頼み込んで病院まで乗せてもらった。急いで父の病室に入ると、ベットの両脇に母と妹がいて、さっき息が止まったと言う。父の手を握るとまだ暖かい。顔も眠っているときそのまんまで、とても死んでいるとは思えなかった。しばらくするとお医者さんがやってきた。僕が到着するのを待ってくれていたようだ。脈を確認し、瞳孔を確認してから、4時46分ですと死亡時刻を告げた。父が亡くなった。

覚悟はしていたし、よく頑張った。これまでにもう息を止めて欲しいとこぼすこともあった。そろそろ楽にしてあげたいと思うこともあった。それでも悲しい。しかし涙は出てこない。あまり実感が沸かない。

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夜が明けて、妻が着替え等を持ってやってきた。そして葬儀の段取りが始まった。父の入院していた病院はキリスト教系で、一応施設があるけれど許容人数が少ないのと、ここ数日空いてないということで近くの斎場を紹介してもらった。葬儀を決めてからも慌ただしく、次々にタスクがやってくる。父の会社の人に電話をかけたり、知り合いの人に電話をかけたり、喪服を取りに帰ったり、あれもこれもと準備に追われた。葬儀というのは、参列した人が故人とお別れをする儀式であるけれど、もしかすると親しい人に大量の仕事を与えることで、悲しむ暇を与えずに悲しみを和らげるという意図があるのかもしれない。気がついたらすっかり日が暮れていて、斎場の家族用の控室で酒を飲んでいた。叔母が別府から買ってきた鶏めしが美味しかった。

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