2019年9月6日午前4時46分、私の父、二宮豊が永眠しました。前日の晩に眠ってから、そのまま安らかに眠ったまま息を引き取りました。早朝私がタクシーで駆けつけた時には既に息は止まっていましたがそれでもまだ暖かく、母と妹に看取られての最期でした。
父は太陽のような人でした。心にその姿を思い浮かべたとき、まず思い浮かぶのは明るくて元気で、人懐っこい笑顔です。モットーは明るく・楽しく・元気よく。
学生の頃、父が授業参観に学校に来るとクラスのみんながお父さんかっこいいと口々に噂していて、いつも誇らしく感じてました。家族で旅行に行くと、温泉で一緒になった隣の人や、スキー場のリフトで隣に乗った人、一瞬で打ち解けてすぐに友達になります。そんな光景を何度も目にしました。
私にとっては自分とは正反対の、明るくて人懐っこく、そしてハンサムな父。私は40歳を過ぎてもこんな長髪で、人との間に壁を作って引きこもる性質の人間ですから、父のことが羨ましく憧れでもあり、どこか少し距離のある、遠い存在でもありました。
実際、私は高校を卒業すると同時に上京して以来20年以上、親元を離れて暮らしてきました。親孝行らしいこともほとんどしてこなかったです。
それが、父が癌になって、今年7月に脳に腫瘍ができて九州がんセンターに入院して、そのお見舞いに行った時、福岡に帰って来ようと思いました。痩せて、小さくなって、体の右側が麻痺して動かなくなった父の姿を見て、今帰ろうと思いました。これが父と向き合える最後のチャンスになるかもしれないと。
それから1ヶ月後、父と母のいる福岡に帰ってきました。この1ヶ月間、病院のベットの上で、2人きりで話をする時間もたくさんありました。マッサージをしたり、体を起こしたり倒したり、父の手や足や体に、こんなに触れたのも始めてでした。あの憧れだった、眩しくて少し距離のあった父に、最後の最後に近づいて触れ合えた気がして、嬉しかったです。 妹も、10月に東京から福岡に帰ってくるそうです。それぞれが自分の道を絶対に曲げない、クセが強くて意固地で頑固な家族ですが、最後の最後に父が、みんなを1つにしてくれたのだと思います。最後に父が残してくれたこの家族の絆を大切に、これから生きていきます。