バレンタインデーの思い出

「ねぇこれ、見て見て! おっかしいよねぇ〜」そう言って会社の先輩が指差した先には、30ピクセル四方程度のドット絵が写っていた。斜め45度に回転した茶色い長方形に、同じ角度に傾斜した白のゴシック体でこう書いてある。「義理」。どこかのコミュニティサイトのバレンタイン用アバターアイテムだ。僕は息を飲んだ。忘れたくても忘れられない記憶。稚拙なチョコレートのドット絵がほじくり返す、あの苦い記憶…。

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それをこの目で見てからもう17年になる。茶色の分厚い板チョコ全面に躍る、ホワイトチョコレートで書かれた太く大きな「義理」の2文字。ジョークのつもりなんだか知らないが、そんなチョコレートを作った会社が心底憎かった。新製品の企画会議で茶髪のイケメンが「これ面白いっすよねぇ〜」とかヌかしてる絵が容易に想像できる。そしてそんな激安会議から生み出されたチョコレートをセレクトした彼女はもっと憎かった。こんな趣味の悪いモン選ぶような女だったなんて。お前の趣味の悪さに気付けてよかったよ、ホント。マジでよく分かった。こんなにセンスのない奴だったなんて。こんなにセンスのない奴なのに嫌いになれないなんて。こんなにお前のこと、愛してるなんて…。

13歳のチェリーなハートに、そんな愛憎セレナーデの二重奏は重すぎる。思いつめた僕は長文の恋文をしたためて、ラブソング集めたカセットテープにジョン・レノンの「ウーマン」入れちゃってKANの「愛は勝つ」でラストナンバー飾ったのだ。「必ず最後に愛は勝つ〜」なんて曲入れちまう程のトチ狂ったナイーブさは、あの太くて強固な「義理」という2文字への、最後のクルセイドだった。川崎のLOFTで買った花束状のキャンディーと共に、そっと彼女に手渡した。「義理」を受け取って丁度1ヵ月後の、3月14日の放課後に。

学校が終わると一度家に帰ってシャワーを浴び、デオドラントスプレーを全身に吹きつけ、ハードジェルで髪をガチガチに固めてから彼女の家に向かった。学校で渡すところをクラスメートに見つかって、牧瀬里穂ばりにヒューヒューだのアチチだの言われたくなかった。崇高で汚れなき愛のセレモニーを誰にも邪魔れたくなかったのだ。それに剣道部のあの娘にフラれて、面胴なことになるのは御免だ(うまい)。

彼女の家は今でも覚えている。街道沿いの古い公団アパートの4階で、その寂れた佇まいが儚さを演出していて、なんだかとってもやるせなくって、胸の鼓動がすっごくドキドキして、ピンポン押す指がブルブルしてて、逃げ出したいけどでも必ず最後に愛が勝つんだからがんばらなくっちゃって思って出てきた彼女に「コレ」って言って恋文とキャンディーとカセットテープをその手に、小さなかわいらしい彼女の、彼女がパンツはいたりブラジャーのホックとめたりする時に使う、その両手に押し付けてダッシュで逃げ帰った。泣いていた。やっと彼女に届いたんだと思った。やっと「義理」の2文字が「マジ」の2文字に変わる日が来るんだと、そう思った。

それからしばらくして、彼女から一通の手紙が届いた。

DEAR:○○

お返事おくれてゴメンナサイ。
今まで○○の事一番仲の良い男友達だと思ってたから
そんなこと考えてなかった。

私には、好きな人がいないから、
○○の気持ち全然わかんなくってゴメンネ。

ホワイトデーの時の事はOKです。
でも友達としてでいいですか?
ゆっくり時間をかけて考えていきたいと思います。

2年生になっても、
今までと同じ様に仲良くしようね。

FROM ××××××

今キーボードの脇に置いたこの手紙を見ながら、名前こそ伏せたものの、一字一句違わずにタイプした。勿論、全然OKじゃなかったのだ。それから彼女とは疎遠になった。この手紙を受け取った日が、最後に彼女と言葉を交わした日になった。

あれから17年、毎年バレンタインデーが来る度に彼女のことを思い出す。今年も引き出しの奥からこの手紙を引っ張り出して、毎年の恒例行事となった自慰行為に耽った。