今年も比叡山インターナショナルトレイルランを走りました

あれから1年。去年の第1回大会は、僕にとって初めて参加したトレイルランニングのレースでした。初めてのレースで、制限時間43秒前にゴールに滑り込んだ最終ランナーになりました。その様子を綴ったブログ記事は、RUN+TRAILに5ページに渡って掲載していただき、実家の母が大変喜んでいました。

あれから1年。色々なことがありました。トレランのレースは、11月にFAIRY TRAIL 高島朽木トレイルランレース、12月に東山三十六峰マウンテンマラソンを走りました。右膝を痛めて走れなかった時期や、仕事が忙しすぎて走れなかった時期もあったけど、週末に早起きをしては京都の色んな山を走ってきました。近藤さんや同じビルで働く西さんと一緒に山へ行ったりもしました。

だから、去年と較べたら随分早くなったに違いないと思っていました。早くなってないとおかしい、くらいに。だけど、レース本番の2週前に後半30kmの試走に行き、タイムを確認して愕然としました。去年試走に行った時より、遅かったのです。また調子にのりかかっていた僕はハッとしました。去年完走できたとは言え、制限時間に間に合ったのはスイーパーの皆さんのおかげでした。比叡山は厳しいレースです。調子ぶっこいてたらあかんと気を引き締めて残り2週間練習を続け、レース当日を迎えました。

今年は近藤さんの車に乗せてもらって、延暦寺へ向かいました。朝から曇り空で気温も高くなく、33度を超えた去年に比べるとずいぶん走りやすそうな天気です。加えて、今年は2組に別れてのウェーブスタート。渋滞も緩和されそうだし、気温も高くなさそうだし、去年よりも1時間くらい早くゴールしたい。10時間を切りたい。サブ10が目標でした。

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第一の試練:煩悩との戦い

第1ウェーブのスタートから20分後、9時20分に僕たち第2ウェーブはスタートしました。延暦寺境内をゆっくり走って、東塔の裏からトレイルに入ります。去年は20分近く並んだ渋滞ポイント。今年はほんの数分でトレイルに突入できました。大比叡まで登ってからは、走りやすい下りが続きます。つつじヶ丘を超え、スキー場跡地を横切ってから、走り慣れた京都1週トレイルのコースに入りました。

快調にステップを踏んで下っていると、僕の前を女性のランナーが走っていました。フワフワしたスカートをはためかせ、同じくらいのペースで下っていきます。スカートをはいて走る方はたまに見かけますが、フワフワのスカートで走っている人を見るのは初めてでした。しばらく下りが続くからと油断していましたが、水飲対陣跡あたりで1回急な登りがあることを思い出しました。このまま登りに差し掛かったらまずい。登りで顔を上げてはならない。この比叡山の地で課せられる最初の試練が、まさか煩悩との戦いとは…。

丸太の橋がかかった沢を渡り、急登が始まりました。じっと自分のつま先を見つめ、黙々と登ります。少なくとも周囲からは、黙々と登っているように見えたはず。内側では急上昇する心拍と、膨れ上がる煩悩との戦いが熾烈を極めていました。顔を上げないと、少し先の路面の状態がわからない。顔を上げるのは、路面の状況を確認するためだ。路面を確認した上で、足をどこに置くのが効率的か考える必要がある。あくまで、路面を確認するために。

そうして意を決して顔を上げると、僕と同じくらいの年令の男性が、息を切らせて登っていました。乾いた笑いが漏れました。

第二の試練:去年の自分との戦い

スタートから1時間40分で、ロテルド比叡脇の最初のエイドに到着しました。コーラを飲んで、バナナやあんぱんを頬張ってすぐに出発しました。少し飛ばし気味ではあるけど、悪くないペースです。坂本までの下りも、前を走っていたSalomonの靴の人に何とかついて行こうと必死で走りました。

そして、坂本からの厳しい登りが始まります。日吉東照宮の急な石段を登ったところの私設エイドで、凍らせたゼリーをいただきました。冷たくて喉に気持ちよかった。そして練習で何度も訪れた、比叡山高校の野球場へ向かいます。野球場の脇に、比叡山高校野球部の人たちがずらっと並んで応援してくれていました。ここを走る時はいつも野球部が練習していたので、僕は勝手に同志だと思っていました。そんな野球部の応援、ジンときてしまって涙腺が緩みます。ありがとう、ありがとうと頭を下げて、ライトの裏からトレイルに入りました。

坂本からもたて山への登り、何度登っても厳しく苦しい道のりです。ここまで飛ばしてきたこともあって、心拍も170近くまで上がってきました。急登へ差し掛かると、道の脇に逸れて立ち止まり、呼吸を整えている人がちらほらいました。僕も少しだけ、立ち止まって休みたい。甘い誘惑です。でも、去年はこの登りで、一度も立ち止まりませんでした。去年は井原さんに何とかついて行こうと、必死で歩き続けたのを思い出しました。ここで1回でも立ち止まったら、去年の自分に負けることになる。他の誰に負けてもいいけど、自分にだけは負けたくない。とにかく立ち止まらないこと、歩き続けること、それだけを考えて登りました。

野球場からケーブル比叡駅までの2.7km、43分で登りきりました。去年のタイムが48分。1年かかって縮められたのはたったの5分。それでも、この5分が僕の勲章です。

第三の試練:横高山との戦い

第2エイドに戻ってきたのはスタートから3時間20分。去年より40分早いタイムです。3時間30分を目標にしていたので、気を良くしてエイドに突入しました。そばとうどんを1杯ずつたいらげます。去年もいただいた鶴喜そば。あまりに美味しくて、つゆまで飲み干しました。ハイドレーションパックに満タン2L入れていた水はそこまで減っていなかったので、水は補給せずに出発しました。

徐行区間はゆっくり走って、青龍寺への下りから加速していきます。去年右膝を痛めた石段の下り。衝撃を恐れて膝を曲げて着地すると筋肉の疲労が激しくなるので、膝をなるべく曲げないで、一本の骨で着地するイメージで地面に足をぶつけていきました。疲労は感じるけど、今年は膝が痛くありません。そのまま駆け下りて、いよいよ横高山に挑みます。

去年はこの横高山の麓で脱水症状になり、20分間道端に座り込みました。あの道端の藪を懐かしく思いながら駆け抜けます。今年は気温がそれほど高くないけど、それでも用心して最初から塩熱サプリを度々とっていました。

迎えた横高山。登り口の沢で頭に水をかぶって登り始めます。ここは同じくらいの傾斜が延々と続きます。変化がなく、ただひたすら登り続けるという精神を試される登り。ジグザグのトラバースが何度も何度も続きます。去年は途中で休み休み登りましたが、今年は立ち止まらないで登ろうと思いました。坂本からの登りでも出来たんだから、横高でもできるはずだと。上を見るとトラバースを折り返してきた人が見えてげんなりするから、足元だけを見ながら登りました。

せりあい地蔵にて

そうして登り続けること40分。賑やかな声が聞こえてきました。せりあい地蔵の私設エイドです。もうしんどくてしんどくて、この登りいい加減にして欲しいと心が荒み始めたところでした。もうすぐエイドというところに、狐のお面を被った人が踊っていました。狐の目がこっちをじっと見つめていて、軽やかに舞っています。あまりにシュールな映像に、思わず吹き出してしまいました。

そして登り切ったところに、鏑木さんがいました。鏑木さんと両手のグーを合わせて気合を入れてもらい「去年最下位だったので、今年はがんばりますよ」と声をかけました。そしたら鏑木さん、覚えてくれていたようで「ああ、あの!」と言って両手で長い髪がフサフサしてるようなジェスチャー。去年、僕はパーマのかかった長髪でした。あれから抗癌剤治療で髪の抜けた妻とお揃いにしようと頭を丸め、そして抗癌剤が終わって伸び始めた妻の髪と一緒に伸ばし始めたところ。鏑木さんが覚えていてくれて、嬉しかったです。来年は鏑木さんの記憶の中にある、あの長髪で帰ってきたいなと思いました。

せりあい地蔵の私設エイドは、ものすごい賑わいでした。「コーラあるよ!」「メロンあるよ!」「水いりますか!」全部いただきました。メロンがあまりに美味しくて、2切れいただきました。コーラをグビグビと飲み干し、ハイドレーションパックに水を補給して、最後の横高山頂への急登へ挑みました。

第四の試練:達成感との戦い

横高山山頂手前の壁のような急登を超え、少し下った後の水井山への壁のような急登も超えて、滝寺までのそこそこ走れるトレイルに差し掛かります。だけどこの比較的楽な区間で、全く脚が動きません。膝が痛いわけでも、脚が終わっているわけでもないのに、頑張れば走れるゆるい登りでも、歩いてしまう。そうして次々と後ろのランナーに道を譲りました。

坂本からの登りを、横高山への登りを、一度も立ち止まることなく登り切った。この50kmに及ぶ厳しいコースの中でも、一番厳しい登りを登り切った。もう十分がんばった。そんな気持ちがあったんだと思います。まだ何も成し遂げたわけではないのに。どうしても気持ちが入らない。京都一周トレイルから大尾山へ続く尾根道に入っても、とぼとぼと歩いていました。周りのランナーはゆっくりでも走っています。歩いている自分が情けない。でも、一歩が踏み出せない。

しょぼくれて歩いていると、コーラをランナーに振る舞っている方がいました。魔法瓶からマイカップに注がれたコーラは、キンキンに冷えています。冷えたコーラ、最高です。しょぼくれて怠けていたランナーに、わざわざ魔法瓶で冷えたコーラを提供してくれる人がいる。これを飲んで走らないのは、さすがに失礼だと思いました。ごちそうさまでした。お礼を言ってから、走り始めました。

大尾山を超えて、ずるずる滑りまくる下りをロープを頼りに下り、パラグライダーの発着点からロード区間を挟んで滝寺へ下っていきます。この辺りでようやく元のペースを取り戻しました。とにかく最後まで精一杯走ろう、そう思いました。

仰木峠

滝寺のウォーターエイドでも、壮大な私設エイドに迎えられました。冷たい水のシャワーを頭から浴びさせてもらいます。シャワーが浴びれるエイドなんて、初めての体験です。コーラをいただいて、水を補給して、長い長いロードの登りに挑みます。

この辺りになってくると、周りを走っている人たちの顔ぶれがお馴染みになってきました。だいたい登りで追い抜かれて、下りやフラットな区間で抜き返すというパターン。仰木峠へのロードの登りでも、次々に抜かれていきます。少しでも悪あがきしようと、抜かれた赤いシャツの男性に付いて行いくことにしました。少しずつ差は広げられるけど、何とか前に出す足のピッチを少しでも早めようと追いすがりました。

37km地点の仰木峠の第三エイドに着いたのは、スタートから7時間経った頃でした。目標の10時間を切るためには、残り13kmを3時間。1km12分のペースでも行ける計算です。これは行けるぞと思い、地元の方々の手作りフードを堪能しました。おにぎりを食べた後に、紙コップに入ったそうめんをいただきました。そうめんが美味しすぎてもう1杯おかわり。デザートに手作りゼリーをいただいて出発です。

ここからはロードの下り。得意のロード区間です。下りのロードが得意だなんて。トレイルランナーを自称するの恥ずかしいレベルですが仕方ない。仰木峠への登りで抜かれた人を追い抜いて、登り返す地点に差し掛かりました。地元の方々の応援と、ちそジュースをいただき、横川への登りに挑みます。

第五の試練:大腿四頭筋との戦い

残り10kmを切り、脚の筋肉のバッテリー残量が切れかかっていました。墓地の脇からドライブウェイの上にかかる橋を渡って登りのトレイルに差し掛かるころには、腿の筋肉に力が入らず、プルプル痙攣し始めました。登りの度に後ろの人に追い抜かれる。もう登りはあと2つしかないのに、最後まで抜かれ続けるのかと思うと情けなくなってきました。一度ドライブウェイに出て、もう一度トレイルへ。

決めました。次に追い抜かれたら、その人に付いて行こう。ずるずると追いぬかれ続けてゴールを迎えたくない。最後まで足掻いてみようと思いました。攣りそうになる腿を何とか誤魔化しながら、抜かれたグループの最後尾に食らいつきました。

そうして何とか琵琶湖展望台へ。もう息が切れてしんどくて、色々絞りきってたどり着いた展望台。この一番苦しいところで、またコーラを振る舞う方が。本当に、絶妙すぎます。今年のレースは、私設エイドに何度も助けられました。坂本からの登りの手前でいただいた凍ったゼリー、せりあい地蔵のメロン、大尾山への登り口で魔法瓶のコーラ、滝寺で浴びたシャワー、そしてここ琵琶湖展望台。急登のトレイルを登り切ったタイミングだったり、これからきつい登りが始まるというタイミングだったり、僕の心が折れかかる度に支えてもらいました。

去年は最終関門ギリギリのタイムで焦りながら登った横川の石段も、黙々と登りました。エイド手前のトレイルも超えて、スタートから8時間8分、ついに横川エイドに到着しました。

1年越しの再会

横川エイドで、去年スイーパーをして下さった方と再会できました。あの時お世話になった3人のスイーパーの方々のお1人です。3人の内、1人の方とは去年11月のFAIRY TRAILのエイドでお会いできました。早いやんがんばって!なんて声を掛けて頂いて、僕もスイーパーをしていただいた時のお礼が言えて嬉しかったです。

2人目の方には、スタート前にお会いできました。近藤さんともお知り合いのようで、スタート前に声をかけて頂いて1年あっという間だね、なんてお話をしました。

そしてここ横川の最終エイドで、3人目の方とやっとお会いできました。エイドに入るや否や声をかけていただいて、覚えて下さっていたことが嬉しかった。がっちり握手をして、去年はありがとうございましたとお礼を言いました。1年越しにやっと、伝えることができました。

第六の試練:下腿三頭筋との戦い

残り5km。スタートから8時間10分が経過していました。目標にしていた10時間切りまで、あと1時間50分もあります。ここからは去年からコースが変更になり、3kmは緩やかな下りの走りやすい林道が続きます。ここで、もしかしたら10時間どころか9時間が切れるかもしれないと思いました。3kmをキロ5分で飛ばせば15分。そうすれば残り2kmを30分ちょっとで登ればいいのです。ロードではないものの、走りやすい得意の下り。これは行くしかない、そう思ってペースを上げました。

キロ6分を超え、キロ5分半、そしてキロ5分を超えた頃でした。快調に飛ばし、どんどん周りのランナーを追い越して調子に乗り始めた頃、ふくらはぎの筋肉が攣りました。慌てて林道の脇で立ち止まり、ストレッチ。さっき抜いたランナーに抜き返されます。

ふくらはぎの痙攣が落ち着いて再び走りだしても、ちょっとスピードを上げるとまた攣りそうになり、スピードを緩めました。たった3kmの林道が、果てしなく続くように感じます。最後2kmの登りに差し掛かった時には、9時間まで26分と微妙な時間に。

最後の登りでは、ふくらはぎに加えて腿も痙攣して、脚全体が攣りました。何度も立ち止まってはストレッチを繰り返しました。去年はスイーパーの方々に助けられたこの登り、今年は独りです。イチニ・イチニと自分に心の中で声をかけ、痙攣する脚を騙し騙し登りました。

そうして最後の1kmに。8時間50分。さすがに9時間を切るのは絶望的になってきたけど、何故か脚の痙攣は止まっていました。長かったこの旅も、あと1km。舗装路に入って更に傾斜のきつくなる登りでしたが、ペースは落ちませんでした。

ゴール

この1年間のことを思い返していました。去年の比叡山のレースの後、3日後に妻が入院して抗癌剤治療が始まった時のこと。抗癌剤の副作用で苦しむ妻を置いて、東京出張に行った日のこと。手術の日に、京大病院の4Fのベンチで看護婦さんに呼ばれた時のこと。そして全てを乗り越えて、懸命に生きる妻のこと。

最後の急登を超える頃には、ちょっと泣きそうになっていました。僕が山を走るのは、趣味です。自分の快楽のために、好きなことをしているだけです。24時間テレビのように、走ることに何かを仮託するのは大嫌いでした。でも、最後の登りで浮かんできたのは、そんな安っぽい走馬灯でした。

そして、最後の登りを登りきったところに、妻がいました。びっくりしました。ゴールで待ってると思ったのに、このタイミングで出てくるのかと。先にゴールして待ってくれていた近藤さんも一緒でした。そして近藤さんが、一緒にゴールしなよと勧めてくれました。残り数十メートル、妻の手を取って一緒に走りました。

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9時間4分53秒。サブ9は叶わなかったけれど、去年から2時間近く縮めることができました。去年はスイーパーの方々のお陰で完走できたから、今年は自力で完走しようという目標でした。でも、今年の完走も自力とは言いがたいものでした。沿道で応援して下さった皆さん、私設エイドでコーラやゼリーを振る舞って下さった方々、仰木の地元のおばちゃん達、鏑木さん、今年も応援して下さった去年のスイーパーの方々。そしてこの1年間、闘病しならがら山へ走りに行くことを許してくれた妻。

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今年も大好きな比叡山を走り切ることができました。本当に、ありがとう。