この前の週末、軍艦島に行ってきた。
船に乗って長崎港から軍艦島へ。ドルフィン桟橋に着いた時、釣りをしている人がいた。どうやって登ったのだろう。
いよいよ上陸だ。外壁の割れ目から、唯一内風呂があったという管理職用の社宅3号棟が覗く。
軍艦島はずっと行きたいと思っていた島だった。島ではひたすら夢中でカメラのシャッターを切り続けた。
ガイドの人が、二坑口桟橋の前で危険な炭坑での仕事について話していた。僕はそれを聞きながら、遊郭はどこにあったのだろうかと想像を膨らませた。
炭坑や鉱山の話を聞くと、僕はいつも木浦を思い出す。僕の祖父母の家は大分県宇目町の木浦鉱山という、閉山した鉱山の集落にある。子供の頃は毎年木浦に行っていて、長閑な木浦が大好きだった。
その木浦に女郎の墓がある。小学生の頃、僕は父に女郎とは何か聞いたのだけど、教えてもらえなかった。その時父がとても答えにくそうにしていたので、僕は何か言い辛いことなんだろうと思ってずっと気になっていた。
大人になってその意味を知った。鉱山や炭坑での仕事は死と隣り合わせだから云々と想像したものの、人の集まるところにはどこだってあったのかもしれない。それでも、やくざ映画で死を目前に控えた男が娼婦を抱く場面のように、どうしても夢想してしまう。
観光客向けの見学ルートと見学広場は柵で島内部と隔てられている。柵のこちら側から、あちら側で老朽化したコンクリートの構造物を眺め、写真を撮った。ハイ、チーズ。
日本初の鉄筋コンクリート造アパート、30号棟。大正生まれの長老だ。
プールの跡もあった。小さな島に、何でもあったんだって。
島では決められたルートしか通れず、島の西側のいくつかの広場にしか立ち入れなかった。それでも、上陸できただけで嬉しくて、帰るのが名残惜しかった。上陸時間の1時間はあっという間だった。
家に帰りつくまで待ちきれなくて、帰りの新幹線でMBA引っ張り出してずっと写真の現像をしていた。撮った写真のヒストグラムがいつもと全然違っていて、まるで白黒写真みたいだった。時間や雨風が、島の色も洗い流してしまったのだと思った。
さよなら端島。また来たいです。